”問題作”と主演の生田斗真さんが言った映画『友罪』が公開間近です!
原作である小説『友罪』は、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件をモチーフにしていると言われていますが、作家の薬丸岳氏は、この作品はフィクションでモデルはないとしています。
ですが、少年犯罪の象徴としてこの事件に似たものを組み込んでいるとか。
この先、映画のネタバレ含みますのでご了承ください。
>>>映画友罪の原作と元ネタは酒鬼薔薇聖斗の神戸児童殺傷事件?実話なのか?
『友罪』について
評論家の宮崎哲弥さんから #友罪 にコメントを頂きました✨
ポジティヴな映画だ。眠りから見棄てられた人々がいる。過去にうなされるのだ。
彼らは私達に他ならないと気づくとき、人生の悪夢の終わりが始まる。 pic.twitter.com/zI23wCoNu3— 映画『友罪』 (@yuzai_movie) 2018年5月23日
「友人が過去に重大犯罪を犯していても、あなたは友達でいられるか」
これがこの作品のテーマです。
瑛太さん演じる鈴木にかかわる人々が、それぞれの視点でこのテーマに向き合います。
友人、恋人、同僚、上司など自分の身近な人がもしかして過去に重大な犯罪を犯していても、自分は今まで通りでいられるのか。
ストーリーについて
原作の小説と映画では、ストーリーがすこし違うようです。
全然違うわけではなくて、登場人物の設定が少し違っていたり、小説にはなかった展開が映画では出てきたり。
結末も大すじでは一緒でも、映画と小説では違いがあるのでは と思っています。
まだ映画は公開されていないので、解禁されている情報のみでの違いになりますが考察したいと思います。
私の個人的な意見ですのでご了承くださいませ。
なお、映画が公開されましたら追記・修正をしたいと思います。
■追記 (鑑賞後)
ストーリーは違うと言いましたが、大筋はけっこう小説に忠実なのだなと思いました。
小説とは細かいエピソードなどは違ったりしますが。
この先、青色の文字は、鑑賞後の追記になります。
>>>映画友罪の結末ネタバレ!あらすじや登場人物やキャストについても!
ストーリ―や設定の違いについて
鈴木秀人(本名:青柳健太郎)は中学2年生の時に子供2人の命を残虐に奪った凶悪犯罪者。
今は医療少年院を退院し、素性を隠しながら生活している。
新しく入った会社で鈴木は親友(益田)や恋人(美代子)や笑いあえる同僚たちに恵まれた。
しかし、やがて鈴木の正体が周囲の人間にバレてしまう。
鈴木はそれでも大切な人々と関係を続けたいと願うが…。
引用元:http://wakatake-topics.com/
映画・小説どちらも大まかなストーリーは一緒です。↑↑↑
主演の益田(生田斗真)と鈴木(瑛太)には大きな設定の違いはなさそうです。
まず違うのは恋人役の美代子(夏帆)。
小説では益田と鈴木が務める会社の事務員。
元カレに追われている。
映画の公式サイトには事務員ではなく、たまたま会った道で男に追われている女性と書かれています。
■追記
元カレに追われているコールセンターで働く女性。
過去に元カレに騙されて”大人の”ビデオに出演。
鈴木とはたまたま道で会った。
次に違うのは杉本清美(山本美月)。
益田の元カノは一緒ですが、小説ではアナウンサーで映画では雑誌記者。
■追記
雑誌記者。
過去の連続児童殺人事件について調べている。
どちらもささやかな違いですが(笑)
大きく違うのは、益田と鈴木が知り合ってから起こった「児童殺人事件」が過去の重大事件を起こした少年Aの再犯なのではないかと騒がれたことでしょう。
このエピソードは小説にはありません。
小説では、過去の重大事件「黒蛇神事件」の元犯人は実は鈴木であり、そのことを記事にしてほしいと出版社時代の先輩にしつこく頼まれ渋々最初は承諾したが、やはり友だちを売るようなことはしたくないと再度断ります。
ですがその願いは聞き入れられず、記事はねつ造されて世の中へ。
それを見た(であろう)鈴木は姿を消します。
映画では、過去の重大事件も「連続殺傷事件」と表記。
小説の「黒蛇神事件」は幼児2人が殺害された殺人事件なので、過去の事件も違うものを設定しているのかもしれませんね。
■追記
「黒蛇神事件」は幼児2人が手にかけられ、され目玉をくりぬかれて神にささげる生贄にという設定でした。
映画のほうでは、1人目は道で小学生の女児の頭を石で殴って手にかけ、2人目はクラスメイトの男児を広い空き地で手にかけた。
他の登場人物のエピソードにも、違いがあるように思いますが、今はまだわかりません・・・。
■追記
富田靖子演じる、少年院にいた時の鈴木の母親役をしていた担当法務教官の白石弥生。
彼女の子どもは小説では息子で、自分を捨てたと弥生をとても嫌っています。ですが最後は息子の彼女に子どもができて結婚。
息子の態度も昔のようなものではなくなります。
映画では弥生の子どもは娘。
思いがけない妊娠をします。
最終的には流産(中絶?)し、泣き崩れる娘を抱きかかえる弥生。
おだやかな顔で眠る二人の姿が描かれていました。
佐藤浩市演じるタクシー運転手の山内。
彼は鈴木と益田が暮らす寮の寮長とされていましたが、映画では寮には住んでいないようです。
結末の考察
小説での結末は、益田に裏切られたと思ったまま姿を消した鈴木に向けて、益田は自分の思いを手記として信用できる出版社から出しました。
「絶対に死なせたくないから、恐れないで踏み出すことにした」
世の中の批判中傷などを覚悟の上、匿名ではなく実名での元犯人への手紙。
どんなことがあっても友だちで居続けたいという言葉でくくられています。
一方、映画の公式サイトでのあらすじには
スマホの動画を再生し、カラオケで歌う鈴木の無邪気な笑顔を見つめる益田。翌日、益田は17年前の青柳健太郎の犯行現場へと旅立つ。本当に鈴木が青柳健太郎なのか?なぜ殺したのか?そんな益田を待ち受けていたのは、17年前に犯した自分の罪だった。
引用元:公式サイト
意味深ですね・・・。
どんな風にも取れますが・・・。
『17年前に犯した自分の罪』というのが気になります。
小説での益田の”罪”は、いじめられていた友人を助けてあげられなかったことですが、映画ではそこには触れていません。
ですが、予告編の動画にはいじめられていた友人にあてた色紙が燃えていました。
なぜ17年経った今、そんな色紙を持っているのだろう?
色紙には、益田の名前も書かれていました。
「友人」だったはずなのに、いじめに加担してしまったのでしょうか。
もしかしたら、鈴木と益田は過去のどこかでかかわっていたことがあるとか・・・?
■追記
元カノの清美を通じて世間に鈴木の存在が世に出てしまいました。
ズバリその話を出したわけではないですが、泣きながら謝る益田。
鈴木は察して「ここのみんなに会えてよかった、ありがとう」と益田の肩をたたきます。
その翌日、鈴木は姿を消しました。
益田は『鈴木への自分の思い』を自分のサイトへ載せます。
その後、どうしても行けれなかったその場所へ今、どうしても行かなければならないと、益田は助けてあげられなかった中学校時代の”友人”学が命を絶った場所へ。
予告編での色紙が燃えるシーンは回想シーンでした。
クラスメイトたちが葬式ごっことして寄せ書きした色紙です。
そこには益田の名前もありました。
書かないと自分もいじめの標的にされるから書かざるを得なかったとか。
”友人”学が、それを燃やしながら益田に電話をします。
「もう限界だ、いなくなってしまった方がいいのかな」と。
それに対し益田は「勝手にすれば」と返事。
その直後、学はこの世を去りました。
自分を守るために友人の手を振り払ってしまったこと。
これが益田が抱えている”罪”です。
その学ぶの最期の場所のすぐ横が、鈴木が2人目を手にかけた場所でした。
鈴木も同じ時にその場を訪れて、自分の罪と向き合っています。
2人はお互いに気づきます。
「今度は絶対に死なせたくないから」
ここで映画は終わっていました。
まとめ
この作品のテーマ、
「友人が過去に重大犯罪を犯していても、あなたは友達でいられるか」
考えさせられますね。
実際に起こらないと答えは出せないテーマです。
コメントを残す