2018年は明治維新150周年です。
今年のNHK大河ドラマは『西郷どん』。
150周年にふさわしい作品ですね!
西郷どんこと西郷隆盛は武士の時代を終わらせ、日本を近代国家に導いた人として有名です。( `ー´)ノ
西郷隆盛といったら
「薩長同盟」「廃藩置県」「西南戦争」「江戸無血開城」などたくさんあります。
難しい4文字熟語ばかりですね・・・(*_*;
この辺もふまえて西郷隆盛の生涯をざっと大まかにですが、簡単にまとめてみたいと思います。
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西郷隆盛の生涯は
1828年1月23日
今の鹿児島がある薩摩国に生まれました。
隆盛が16歳の時、藩の郡方書約助という役に任命。
薩摩藩の殿様である島津斉彬(しまづなりあき)に出した意見書が目に留まり、
隆盛は島津斉彬に仕えることになりました。
この時26歳(1854)。
36歳(1864)の時、禁門の変が起こります。
禁門の変とは、京都の御所付近で長州藩と幕府側が武力衝突した事件です。
隆盛率いる薩摩藩が幕府側の援軍として駆け付けると形勢が逆転。
長州は破れてしまいました。
ですがこの頃、江戸幕府は弱っていました。
江戸幕府を倒して新しい国を作ることが必要と考える人々が現れ出します。
土佐藩の坂本龍馬もその一人。
龍馬は日本政治の実権を「幕府」から「朝廷」に移そうとしていました。
江戸幕府を倒すには大きな組織が必要です。
そこで龍馬は1866年、
薩摩藩(西郷隆盛)と長州藩(木戸孝允)に薩長同盟を組ませました。
長州は薩摩から武器を手に入れることによって同年の第二次長州征伐では江戸幕府との戦いに勝利したのです。
1867年10月14日
15代徳川慶喜は政治の実権を朝廷へ返還しました。
これが「大政奉還」です。
大政奉還によって江戸幕府は終わり、武士の時代も終わりを告げます。
しかし朝廷に政権を返還したというものの、実際は慶喜の政権掌握が続きます。
いつまでも政権を握っていることに怒った新政府は旧幕府を倒そうとしました。
この動きを戊辰戦争(ぼしんせんそう)といいます。
1868年戊辰の年に鳥羽・伏見の戦いで始まり、翌年五稜郭の戦いで終わる、新政府軍と旧幕府軍との内戦のことをいいます。戊辰とは十干・十二支を組み合わせて表した干支で、戊辰の年に起こった戦いという意味です。
戊辰戦争は将軍慶喜が朝廷に政権を返上し、幕府の廃止をしたにも関わらず強大な権力を保持していた旧幕府勢力に反発を抱いた新政府が、武力で旧幕府勢力を倒すために起こした戦争です。
戊辰戦争では旧幕府軍と新政府軍に分かれて戦います。旧幕府軍は旧幕府勢力と奥羽越列藩同盟(東北北陸地方の31藩)で、新政府軍は薩摩、長州、土佐藩などが中心になっています。
引用元:https://honcierge.jp
1868年3月~4月
戊辰戦争中、西郷隆盛(40歳)は江戸幕府の勝海舟と交渉。
江戸城総攻撃は回避され、新政府軍に江戸城は引き渡されます。
これを「江戸城無血開城」といいます。
総攻撃せずにすんだことで、江戸100万人の民と江戸の町を巻き込まずにすんだことは最大の成果ですね。
旧幕府の本拠地の江戸城が引き渡されたにもかかわらず、戊辰戦争は1869年5月18日まで続きました。(>_<)
隆盛が43歳(1871)の時、8月に廃藩置県を行いました。
廃藩置県とは。
簡単に言えば、藩をおしまいにして代わりに府と県にしますよということ。
藩主と藩の武士には俸禄を、藩の借金も代わりに払ってあげました。
そしてこの年の12月
木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通らで編成される『岩倉使節団』が欧米へ視察に行きます。
隆盛は留守政治を任されました。
45歳(1873)の時、隆盛は『征韓論』を唱えます。
征韓論とは
国交回復の提案を断った朝鮮に対して武力で開国を迫ること。
しかし欧米から帰ってきた岩倉らは征韓論に反対。
今の日本は挑戦と戦争をするべきではなく、産業をさかんにして国を強くすることと主張しました。
この激しい議論に勝ったのは岩倉たちでした。
隆盛は明治政府をやめて鹿児島へ帰郷。
隆盛46歳(1874)
鹿児島に私学校(地元の若者を育てる組織)を設立。
新政府に不満を持つ藩士の統制と若者の教練を行います。
1877年
熊本県・大分県・宮崎県・鹿児島県で起こった士族の反乱が「西南戦争」です。
西郷隆盛を中心に主に鹿児島出身の士族が起こしました。
旧武士である士族たちが特権を政府によって奪われ不満がたまっており、九州を中心に士族の反乱が起きていました。
士族たちは士族を統率できる人物を探していました。
それにぴったりなのが西郷隆盛だったのです。
隆盛は最初は政府と争うことを反対しましたが自分の暗殺計画がある事を知り、やむなく同意。
開戦から7か月。
政府軍の勝利に終わり、西郷隆盛は切腹にて自決しました・・・(>_<)
隆盛49歳でした。
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銅像の犬について
余談として
一緒に銅像になっているイヌについて。
西郷隆盛は明治維新後、ウサギ狩りを始めます。
それに猟犬が必要になり飼い出したとか。
西郷さんが可愛がっていたイヌに雌のツンという犬がいました。
銅像の犬はツンがモデルではなく、薩摩犬でも性別は雄だそうです。
銅像の、連れているイヌはツンなのでしょうが別の犬になってしまっていますね・・・(>_<)
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まとめ
簡単にはまとめきれないくらい濃い生涯を送った西郷さん。
『西郷どん』を観るのに、大まかにでも出来事の流れをつかんでいれば数倍楽しめるのではないでしょうか?
隆盛ツアーを組んで旅行に行くのもいいですね(^^)
★NHK大河ドラマ
2018年1月7日(日) 20:00~
お楽しみに!!
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