燃えよ剣【映画】池田屋事件と鳥羽伏見の戦と五稜郭の戦を分かりやすく説明!

 

『燃えよ剣』楽しみですね~

より楽しむためにちょっと予習!!

池田屋事件・鳥羽伏見の戦い・五稜郭の戦いを簡単に?わかりやすく説明していきま~す(^-^)

 

Contents


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燃えよ剣【映画】池田屋事件を簡単にわかりやすく説明

 

徳川家光が「鎖国令」を発布してから200年、諸外国は目覚ましい発展を遂げる中、日本はすっかり取り残されていました。

また、アメリカやイギリス、スペイン、フランスなどの欧米諸国は、中国やフィリピンなどを植民地化し、アジア進出を始め、中国への中継点として、日本に開国を求めてきたのです(>_<)

有名なペリーの来航です!

その頃の日本は、徳川家の世襲問題などもあり混乱していました。

いろいろと勉強していた地方の若い浪士たちは、政治をどうするべきかと熱く主張し、意見のぶつかり合いから藩と藩の戦いも生まれていたのです!!

 

事の発端は、大老・井伊直弼が天皇の許しも得ずに、アメリカと勝手に条約を結んでしまったことでした(*_*)

天皇を尊敬する「尊王派」や外国と戦うことを主張していた「攘夷派」がこれに大いに反発しました。

井伊直弼は、そんな反対勢力を徹底的に弾圧したのです。安政の大獄

結局、怒った水戸や薩摩の浪士に井伊は暗殺されてしまいます(@_@)

この波に乗り、幕府の役人を暗殺しようとする浪士が出てきたのです!

そんな浪士を取り締まるために結成されたのが壬生浪士組(後の新選組)でした。

 

その頃長州藩は熱く「尊王攘夷」を唱えていましたが、時の孝明天皇はそこまで攘夷を望んでいるわけではなく、会津藩や薩摩藩に説得され、長州藩を京都から追い出すように命令しました\(◎o◎)/

 

悔しい長州藩もそのまま黙っているわけはなく、こっそりと京都に潜伏し作戦を練っていました。

ところが、1864年7月8日の会合の情報を手に入れた新選組が、長州藩の浪士が集まる「池田屋」に踏み込み、長州藩の計画を阻止しました。

これがいわゆる「池田屋事件」です。

この事件で、長州藩の志士たちがたくさん命を落としましたが、「新選組」の名は世に知れ渡ることになりました(>_<)

 


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燃えよ剣【映画】鳥羽伏見の戦いを簡単にわかりやすく説明

 

その後も徳川の世継ぎや各藩ごとの戦いなどいろいろありますが、ここでは端折ります(;^ω^)

 

長州藩はすっかり幕府の敵(朝敵)となり、その勢いも衰えてきました。

当初は、幕府側にいた薩摩藩でしたが、西郷隆盛や大久保利通らが主張する新しい政府のあり方が幕府に理解してもらえず、次第に倒幕へと傾いていったのです!

 

そこで動いたのが、土佐藩の坂本龍馬ら・・・

「外国から日本を守り、国を良くしたい」のは薩摩も長州も同じであると言う思いを伝え、薩摩は長州を助けるという密約を交わさせました!薩長同盟

1867年、徳川最後の将軍に就任したのは慶喜でした。

なかなかずる賢いお方だったようです(>_<)

 

薩摩が寝返ったことで圧倒的に不利になった幕府!

このままでは倒されてしまうと思った慶喜は、悔しくも渋々、明治天皇に政権を返上すると申し上げました。大政奉還

でもずる賢い慶喜は、新幕府で自分もなんらかの役職を持ち、巻き返してやろう~と思っていました。

 

そのことを見透かしていた薩長は、あくまでも武力で徳川幕府を倒そうとしていたため、結局慶喜は将軍職を退くことになりました王政復古

ここで、改めて薩摩や長州が主軸となった新幕府が成立したのです(^-^)

 

なのに!旧幕府側はまだ怒りが収まりません!!

薩長を倒そうという声が高まり、慶喜も戦いを覚悟しました。

 

1868年1月、慶喜は、京都へ向け約15000人の兵を進軍させます。

その中には「新選組」も含まれていました。

新幕府軍は鳥羽街道を封鎖、そこで旧幕府VS新幕府の戦いが幕を切ります。

最初は「通せ」「通させぬ」と言う感じの押し問答でしたが、しびれを切らした旧幕府軍が強行突破しようとしたところに新幕府軍がいきなり大砲を発砲\(◎o◎)/

これを機に、京都中で戦いが勃発します。

新幕府軍は、兵士約5000人と人数では劣っていましたが、鉄砲や大砲を用いて有利に戦いを進め、旧幕府軍は完敗したのです。

燃えよ剣【映画】原作のあらすじを詳しく内容説明!土方歳三にギャップ萌え?

2020年2月29日

 


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燃えよ剣【映画】土方最期の地となった五稜郭の戦い

 

鳥羽伏見の戦いで敗れた旧幕府軍は、江戸へと逃げます!

その後を追うように、新幕府軍VS旧幕府軍は続くのです(@_@)

新選組の近藤勇と土方歳三は名を変えて挑んでいましたが、甲州勝沼の戦いで敗戦したときに、近藤の身元がバレ、斬首刑とされてしまいます・・・

土方は旧幕府側の会津藩らと戦いを続け、新政府軍に押され北へ北へと戦場を転々とします。

仙台藩で合流した榎本武揚と共に、10月蝦夷地に上陸!

箱館・五稜郭を占領し、松前城を陥落させました。

その後榎本を総裁とし「蝦夷共和国」を成立するのです(^-^)

 

しかし、翌1869年、新幕府軍は蝦夷地までも攻め入ります!

土方らは善戦するも、徐々に窮地に追い込まれて、511日、敵の流れ弾に当たり土方は絶命してしまいました(諸説あり)

指揮官を亡くしながらも必死に戦っていましたが、砲弾に打ち尽くされ兵糧も底をつき、とうとう5月16日、榎本軍は降伏しました。

こうして、戊辰戦争も終結したのです(*_*)

 


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まとめ

 

かなり大雑把ですが、土方が関わった幕末の戦いについて書きました。

この戦いがどう描かれるかも、映画を観る楽しみの一つですね~

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