【キングダム4期】せいきょうは実在する?モデルや史実との違いについても

 

『キングダム』第4シリーズのティザービジュアルが公開され、「次は、俺の番だ」と、王弟・成蟜が不敵に微笑んでいます(>_<)

ということは、あの感動的場面が・・・と想像する人も多いと思います!

では、実際史実ではどうだったのか?そもそも成蟜は実在したのか?

今回はその辺について掘り下げます(^^)

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【キングダム4期】キングダムにおいての成蟜について

 

『キングダム』で描かれている成蟜について、簡単におさらいします(^^)

 

成蟜は、秦王・贏政の腹違いの弟。

父は前王・荘襄王で、母は王族の娘(詳細は不明)。

産まれてからずっと王宮で育ち、幼い頃から次期王になるのは自分だと思っていました。

ところが趙の元舞妓を母に持つ義理の兄が、趙から秦に戻り太子となったことで、跡を継ぐのは兄の贏政となってしまいました(>_<)

 

このことに不満を抱いた成蟜は、左丞相・竭氏と手を組み、反乱を起こしました。

でも、贏政が信や楊端和らの力を借りて勝利し、反乱は失敗に終わり、成蟜は城に幽閉されてしまいます(@_@)

 

3年後、幽閉が解かれた後は、贏政軍の一派として、内外の戦いに参戦します。

幼き頃から、かなり我が儘で、ひどい性根の持ち主でしたが、贏政に敗れ、叱責され、幽閉された経験や、年齢を重ねたことで、少しずつ改心していきます(^^)

 

第一婦人は瑠衣。

幼き頃から知っていて、お互い口が悪く気が強かったけれど、惹かれあっていたようです!

その瑠衣が、曾祖母の80歳のお祝いに里帰りした際に事態が動きました(>_<)

 

趙軍が、瑠衣の故郷・屯留へ向けて兵を挙げたのです。

鎮圧のために出陣したのは、成蟜の一派でした(^-^)

ところが、これらはすべて王座を狙っていた呂不韋の仕業でした!

成蟜と瑠衣は罠にはめられ幽閉され、その間に成蟜が首謀して反乱を起こしたことにされてしまったのです(@_@)

でも贏政は、成蟜がはめられたと見破り、隠密に救出作戦を決行します。

そこまで弟を信じられるほど、兄弟の信頼関係は芽生えていたのですね~

無事、脱出したのも束の間、追手によって深手を負った成蟜は、命を落としてしまいます(T_T)

 

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【キングダム4期】成蟜は実在したのか?

 

成蟜のモデルとなったと思われる、秦の始皇帝の弟は実在しました。

とは言え、古い時代の事ですので、残された史書も少なく、その歴史書によって異なった捉え方をしている事象もあるので、詳細については諸説あります(^.^)

 

父親は荘襄王ですが、母親は王族であったとも、韓国出身の夫人であったとも言われていますが、兄の贏政(実在の人物)と、異母兄弟であったのは事実です!

政が趙国に残されていた間は、次期王は成蟜になる可能性が高かったけれど、秦に戻った政が、太子に指名されたことにより、王位を継承する権利はなくなったわけです(@_@)

「史記」によると、成蟜は、紀元前242年に韓に赴き、韓の宰相となって、韓の地百里を接収し(強制的に取り上げ)、その功により長安君(称号)を封ぜられた(授けられた)ことになっています。

 

その後、紀元前239年に、軍を率いて趙国を攻撃し、屯留の蒲鶮の軍を従えて、反乱を起こしました(>_<)

こちらも諸説あり、なぜ、反乱に至ったのかの経緯もわかりません。

秦軍の攻撃にあった成蟜軍は敗れ、成蟜は亡くなり、軍吏はみな斬り死に、民は別の地に移されました!

成蟜の死については、城壁の中で自ら命を絶ったと解釈している史書もあります。

 

キングダムの成蟜は、当初すごく性格が悪くて、腕を切られてビビるほど戦いにも向いていませんでしたが、史実では、その人柄などについての記載はなく、どんな人物であったのかは図り知れません!!

 

成蟜の子孫についての記載もありませんが、秦国最後の君主である子嬰は、成蟜の子ではないかと言われています。

 

【キングダム4期】史実の違い

 

『キングダム』は、「史記」に書かれている、亡くなった年とか、戦いに勝ったとか負けたとかは正確に描きつつ、作者の原泰久さんがオリジナリティーを加えた作品です。

成蟜の史実との違いについてまとめました。

 

史実と同じ点

 

・秦の始皇帝・贏政の弟で、名は成蟜(盛蟜と記されている史書もある)。

・父は荘襄王だが、兄とは異母兄弟である。

・紀元前239年に、蒲鶮の軍を従えて反乱を起こし、秦軍の攻撃にあい亡くなった。

 

史実と異なる点

 

・『キングダム』の中で描かれた一度目の反乱は、実際にはなかったオリジナル!

・史実では、韓に赴き宰相となっていたが、『キングダム』では、その間城に幽閉されていた。

・史実と同じ年に、屯留で反乱を起こすが、『キングダム』では、成蟜が、呂不韋と蒲鶮の企みにはめられてしまった展開になっている。

・最期は、妻・瑠衣を守るために戦い、命を落とす(T_T)

・秦国最後の君主・子嬰の父親は成蟜であると書かれた史書もあるが、『キングダム』では、成蟜の子については触れられていない。

 

屯留で命を落としたと言う事実は、反映されているようですが、亡くなり方については、原先生のオリジナルですね(^^)

嫌な奴のイメージが強かった成蟜ですが、『キングダム』では、王族の誇りを伝える役目をしっかり果たしていました!!

 

まとめ

 

贏政の弟、成蟜は実在する人物でした!

始皇帝が、中華を統一するよりも随分前に命を落としてしまったので、史実にはあまり残っていないようです。

でも、『キングダム』読者の心の中には、いつまでも雄姿が宿っていることと思います(^.^)

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