黒羊丘の戦いで信に討たれてしまった慶舎!
激しい性格の武将が多い中で、沈黙を続けていた慶舎は珍しいタイプだったので、もっと長く登場して欲しかったなあとも思います(^^)
実際、慶舎は黒羊丘の戦いで命を落としたのでしょうか?
史実ではどうなっているのか、調べました!
Contents
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【キングダム5期】キングダムにおける慶舎とは
『キングダム』44巻のおまけマンガでは、李牧と慶舎の出会いが描かれています。
田舎の軍略大会で、李牧の弟子が負けた相手は、“待ち”を使い、何をやっても強烈な返しをしてくる少年でした(>_<)
その最後の盤面を見た李牧は、武具屋で住み込みで働いているというその子を、高い金で見受けします。
その子が慶舎でした。
慶舎は、村が賊徒に襲われ、両親を含めたほとんどの村人が目の前で殺されてから、口も利けず、蜘蛛が友達だった無表情な子どもです(T_T)
李牧は慶舎の才能を見抜き、「私と旅に出ましょう」と声をかけました。
慶舎にとって、李牧は恩人と言えるでしょう。
慶舎の戦い方は、蜘蛛の巣に獲物が飛び込んでくるのを待つタイプ。
合従軍との戦いで、実質、趙軍の総指揮を執った慶舎は、同じく本能型の秦の武将・藨公と対峙。
一度は罠にはめるも、結局、決着が着かずに終わってしまいました(>_<)
そして黒羊丘の戦いでは、桓騎の策にはまってしまい、“待ち”のはずの慶舎が痺れを切らして、先に動いてしまったのです!
秦軍の包囲から一度は脱出するも、割り入ってきた信と一騎打ちとなり、最後は信に討ち落とされてしまいました(T_T)
暇すぎてキングダム読み返してるけど黒羊丘の所が一番ゾクゾクする pic.twitter.com/IJqxnX2q58
— 龍ちゃん (@ryutyan123) April 23, 2020
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【キングダム5期】中国に史実における慶舎
中国戦国時代、趙の孝成王と悼襄王に仕えた“慶舎”という武将がいました。
この人物が『キングダム』の慶舎のモデルではないかと思われます(^^)
慶舎は、実在の人物でした!
キングダムの慶舎🔥 pic.twitter.com/6cEweQYuDi
— GRIM (@Grim_oripa) November 3, 2021
ただし、慶舎について、歴史書の中では2つの項目しか残されていません・・・
孝成王10年(前256年)、楽乗と共に秦の信梁軍を破る。
悼襄王5年(前240年)、東陽と河外の地の兵を率いて、黄河の梁(はし)を守った。
引用元:Wikipedia
孝成王10年 楽乗と共に秦の信梁軍を破る
この戦は、『キングダム』が始まる前の話です。
紀元前260年には秦の白起が趙を攻め落とし、降伏した趙兵40万人を生き埋めにした“長平の戦い”がありました(>_<)
「俺は長平みたいなことは絶対にやらねえし絶対にやらせねえ」
という信の名言があるように、中国史に残る大きな戦いです!
その後、紀元前257年には、秦の王齕が趙都・邯鄲を攻めましたが敗退しています(@_@)
その翌年に攻めてきた秦軍を、破ったことになります。
慶舎は既に、大将級の武将であったと思われるので、実在したとはいえ、人物像やその背景などは、『キングダム』のオリジナルと考えられます(^^)
悼襄王5年 東陽と河外の地の兵を率いて、黄河の梁(はし)を守る
こちらは紀元前240年なので、合従軍との戦いに秦が勝利した翌年です!
記載はありませんが、たぶん、慶舎も参戦していたことと思います(^.^)
その後、秦を含め、各国の侵攻を防ぐために、守りを固めていったのではないでしょうか?
黄河の梁がどこであるのかは、解明できませんでしたが、秦との国境に近い場所であると考えられるので、かなり重要な箇所の守備を任されたことになりますね(^-^)
ちなみに今日のSU-METALはキングダムの慶舎みたいだった pic.twitter.com/S7nVJ17a6O
— BE MY METAL (@hochiinpoinpo) October 23, 2018
『キングダム』で描かれた、合従軍との戦いや黒羊丘の戦いに、慶舎が参戦したという記録は残されていません。
黒羊丘の戦い自体が、史実に存在しないとも考えられます。
でも、たった2行の情報ですが、この時代、慶舎は確実に、趙の名将だったと言えるでしょう(^^)
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【キングダム5期】慶舎の最期はどうだったのか?
もちろん、慶舎の最期についての記録も残っていません(>_<)
紀元前236年の秦による鄴攻め以降に慶舎が登場しないことや、慶舎の子孫と思われる人物の記録がないことから考えると、この時期に本当に命を落としていたのかもしれません。
わかってんな信
俺もお前と同じ立場なら速攻で慶舎狙うぜ pic.twitter.com/VHd0AIgtYB— だいきさん (@20101223Df) March 25, 2016
どの戦いで絶命したのかわかりませんが、『キングダム』より実際の慶舎の方が、年齢は上だったのではないかと思いますので、病死の可能性も否めません・・・
どちらにしろ、鄴攻めの時にはもういなかったという想定の下、原先生は、黒羊丘の戦いでの、壮絶な最期を演出したのかもしれませんね(^-^)
慶舎は、自らを救ってくれた李牧に恩を感じていました。
李牧に声をかけられた少年は、軍略の才こそあれ、信や漂のように、幼い頃から鍛えていた様子は見受けられませんでした。
でも、合従軍との戦いと黒羊丘の戦いでは、知略家として素晴らしい策を披露し、最後の信との一騎打ちでは、それまでの慶舎からは想像つかないような、剣さばきを目の当たりにしました(@_@)
好きなキングダムは慶舎です pic.twitter.com/PAY6Pkn9Sr
— ゆちゃん (@sushiqubeley) March 7, 2020
趙国にとって、李牧の右腕とも言われる慶舎を失うことは、かなりの痛手になったことと思います。
その後、趙侵略を進めていくことを考えると、読者としては寂しさもありますが、ここで慶舎が最期を迎えるのは必然だったと言えるでしょう(>_<)
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まとめ
「沈黙の狩人」慶舎は、実在する人物でした!
ただし、人物像などの記録は全く残されていなかったので、オリジナルのキャラと捉えてもいいかもしれませんね(^^)
李牧に救われてから、総大将にまでのし上がった慶舎の、スピンオフ作品も見てみたいなあ~と思いました!!
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