【キングダム5期】慶舎は史実に実在する?壮絶な最期は演出?

 

黒羊丘の戦いで信に討たれてしまった慶舎!

激しい性格の武将が多い中で、沈黙を続けていた慶舎は珍しいタイプだったので、もっと長く登場して欲しかったなあとも思います(^^)

実際、慶舎は黒羊丘の戦いで命を落としたのでしょうか?

史実ではどうなっているのか、調べました!

 

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【キングダム5期】キングダムにおける慶舎とは

 

『キングダム』44巻のおまけマンガでは、李牧と慶舎の出会いが描かれています。

田舎の軍略大会で、李牧の弟子が負けた相手は、“待ち”を使い、何をやっても強烈な返しをしてくる少年でした(>_<)

その最後の盤面を見た李牧は、武具屋で住み込みで働いているというその子を、高い金で見受けします。

その子が慶舎でした。

慶舎は、村が賊徒に襲われ、両親を含めたほとんどの村人が目の前で殺されてから、口も利けず、蜘蛛が友達だった無表情な子どもです(T_T)

 

李牧は慶舎の才能を見抜き、「私と旅に出ましょう」と声をかけました。

慶舎にとって、李牧は恩人と言えるでしょう。

 

慶舎の戦い方は、蜘蛛の巣に獲物が飛び込んでくるのを待つタイプ。

合従軍との戦いで、実質、趙軍の総指揮を執った慶舎は、同じく本能型の秦の武将・藨公と対峙。

一度は罠にはめるも、結局、決着が着かずに終わってしまいました(>_<)

 

そして黒羊丘の戦いでは、桓騎の策にはまってしまい、“待ち”のはずの慶舎が痺れを切らして、先に動いてしまったのです!

秦軍の包囲から一度は脱出するも、割り入ってきた信と一騎打ちとなり、最後は信に討ち落とされてしまいました(T_T)

 


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【キングダム5期】中国に史実における慶舎

 

中国戦国時代、趙の孝成王と悼襄王に仕えた“慶舎”という武将がいました。

この人物が『キングダム』の慶舎のモデルではないかと思われます(^^)

慶舎は、実在の人物でした!

ただし、慶舎について、歴史書の中では2つの項目しか残されていません・・・

孝成王10年(前256年)、楽乗と共に秦の信梁軍を破る。

悼襄王5年(前240年)、東陽と河外の地の兵を率いて、黄河の梁(はし)を守った。

 

引用元:Wikipedia

 

孝成王10年 楽乗と共に秦の信梁軍を破る

 

この戦は、『キングダム』が始まる前の話です。

紀元前260年には秦の白起が趙を攻め落とし、降伏した趙兵40万人を生き埋めにした“長平の戦い”がありました(>_<)

 

「俺は長平みたいなことは絶対にやらねえし絶対にやらせねえ」

 

という信の名言があるように、中国史に残る大きな戦いです!

その後、紀元前257年には、秦の王齕が趙都・邯鄲を攻めましたが敗退しています(@_@)

その翌年に攻めてきた秦軍を、破ったことになります。

慶舎は既に、大将級の武将であったと思われるので、実在したとはいえ、人物像やその背景などは、『キングダム』のオリジナルと考えられます(^^)

 

悼襄王5年 東陽と河外の地の兵を率いて、黄河の梁(はし)を守る

 

こちらは紀元前240年なので、合従軍との戦いに秦が勝利した翌年です!

記載はありませんが、たぶん、慶舎も参戦していたことと思います(^.^)

その後、秦を含め、各国の侵攻を防ぐために、守りを固めていったのではないでしょうか?

 

黄河の梁がどこであるのかは、解明できませんでしたが、秦との国境に近い場所であると考えられるので、かなり重要な箇所の守備を任されたことになりますね(^-^)

『キングダム』で描かれた、合従軍との戦いや黒羊丘の戦いに、慶舎が参戦したという記録は残されていません。

黒羊丘の戦い自体が、史実に存在しないとも考えられます。

でも、たった2行の情報ですが、この時代、慶舎は確実に、趙の名将だったと言えるでしょう(^^)

 


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【キングダム5期】慶舎の最期はどうだったのか?

 

もちろん、慶舎の最期についての記録も残っていません(>_<)

紀元前236年の秦による鄴攻め以降に慶舎が登場しないことや、慶舎の子孫と思われる人物の記録がないことから考えると、この時期に本当に命を落としていたのかもしれません。

どの戦いで絶命したのかわかりませんが、『キングダム』より実際の慶舎の方が、年齢は上だったのではないかと思いますので、病死の可能性も否めません・・・

どちらにしろ、鄴攻めの時にはもういなかったという想定の下、原先生は、黒羊丘の戦いでの、壮絶な最期を演出したのかもしれませんね(^-^)

 

慶舎は、自らを救ってくれた李牧に恩を感じていました。

李牧に声をかけられた少年は、軍略の才こそあれ、信や漂のように、幼い頃から鍛えていた様子は見受けられませんでした。

でも、合従軍との戦いと黒羊丘の戦いでは、知略家として素晴らしい策を披露し、最後の信との一騎打ちでは、それまでの慶舎からは想像つかないような、剣さばきを目の当たりにしました(@_@)

趙国にとって、李牧の右腕とも言われる慶舎を失うことは、かなりの痛手になったことと思います。

その後、趙侵略を進めていくことを考えると、読者としては寂しさもありますが、ここで慶舎が最期を迎えるのは必然だったと言えるでしょう(>_<)

 


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まとめ

 

「沈黙の狩人」慶舎は、実在する人物でした!

ただし、人物像などの記録は全く残されていなかったので、オリジナルのキャラと捉えてもいいかもしれませんね(^^)

李牧に救われてから、総大将にまでのし上がった慶舎の、スピンオフ作品も見てみたいなあ~と思いました!!

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