中華統一へ向けての戦いが始まった『キングダム』
李牧率いる趙国との戦いは、史上屈指とも言える“黒羊丘の戦い”で幕を開けます(^^)
エピソード満載のこの戦いですが、実話なのでしょうか?
中国史にその場所は残されているのでしょうか?
今回は、“黒羊丘の戦い”について、掘り下げます(^^)
Contents
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【キングダム】黒羊丘の戦いとは?
呂不韋に勝利し、長年の政争に決着をつけた贏政は、いよいよ中華統一へと動き出します!
『キングダム』41巻~45巻では、桓騎を総大将とした秦軍と、趙軍との壮絶な戦いが描かれています(^^)
信が率いる“飛信隊”は、初めて、桓騎将軍の下で戦うことになりましたが、その非道な戦い方に、嫌悪感を抱きます。
それに対して桓騎は、「大人に戦いを覚えていけ」と言い放つのでした(>_<)
今日の日本戦の賛否両論TL見てたら、なんかキングダムの黒羊戦での桓騎と信の衝突を思い出した。 pic.twitter.com/TQUVd4Z7Bk
— セイジ・アゲインスト・ザ・マシーン (@spekari) June 28, 2018
黒羊丘は、広大な樹海が広がる密林地帯で、その中にある5つの丘を占拠すれば、秦軍の勝利となります!
そのためには、いち早く中央の丘より奥に前線を作る必要があります。
もちろん、趙軍も同じ作戦のため、困難な戦いになることが予想されました(>_<)
しかも、地形を知る趙軍の方が有利であることは間違いがありません。
かなりの苦戦を強いられるも、とうとう4日目に信が、敵将・慶舎の首を討ち取りました!
ところが、敵副将・紀彗は、慶舎の死を隠して、戦いを続けたのです(@_@)
その様子を見た桓騎は、丘を撤退して、趙軍に明け渡すように命令。
困惑する両軍を嘲笑うかの様に、桓騎は恐ろしい行動をとるのです。
黒羊の村人たちを虐殺し、その亡骸でアーチを作り、
「これ以上の惨劇を、お前の離眼城で起こしてやる」
と、紀彗に伝文を送ります!!
紀彗は、かつての苦い経験から、離眼の子どもたちことは絶対守ると誓っていました(>_<)
そのことを知った桓騎が張った罠により、紀彗軍は離眼城に戻り優位になった秦軍が丘を制することで、戦いは終わりを告げました。
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【キングダム5期】黒羊丘の戦いは実話?
密林の中の丘、離眼城のエピソード、信VS桓騎等々、面白くて深い内容の黒羊丘の戦いですが、実は、実話ではありません!
そもそも、“黒羊”という場所は、この時代はもちろん、その前後においても中国に存在していた記録はないのです(>_<)
樹海の中での戦いや、飛信隊・渕副隊長の河越え、丘取り等、まるで実際にあったかと思ってしまう程の展開は、本当に秀逸ですね~
キングダム41〜44巻 黒羊丘の戦いは様々なリーダー像を描いた戦いに感じた。桓騎と信、境遇が似てる2人の”戦い”に対する対照的な考え。知力も武力も秀でていない渕副長が信頼される理由、”任された事に対する責任感の強さ” 。現代にも通じるものが多いわー#漢だねー pic.twitter.com/nI6efICxP1
— MGMTミギー(荒野Network加入中) (@MGMTmiggy) July 19, 2021
『キングダム』創作の上で、作者の原泰久さんは、「史記」などの、中国の歴史書を参考にしています。
ところが、そこの書かれている内容はとても少なく、そのわずかな情報からイメージを膨らませ、作り上げているのです(^^)
Wikipediaを始め、ネットなどで検索しても、紀元前247年に政が秦王に即位し、前241年に函谷関での合従軍との戦いに勝利。
前238年に呂不韋が失脚して、実権を掌握した後は、前236年に鄴を攻めたとなっていて、その間の詳しい出来事や戦いについての記載は残されていません。
2年間で何らかの戦いはあったかもしれませんが、黒羊丘の戦いに関しては、完全に『キングダム』のオリジナルです(^-^)
また、勝敗を分けた“離眼城”のエピソードですが、こちらもそのような城が実在はせず、桓騎が罠を張ったことも、オリジナルのストーリー。
『キングダム』では、李牧の下、趙国は圧倒的に強いイメージで描かれていますが、史実では既に、国の大半を秦によって奪われているのです(@_@)
【キングダム】482話のネタバレで黒羊の戦いに決着が!?https://t.co/upxkmPZhi5 pic.twitter.com/UkQupWMWwK
— 漫画ネタバレ・考察王 (@kousatuou) July 18, 2016
趙軍には、李牧や龐煖、郭開や慶舎の様に、実在した人物もたくさんいます。
離眼城主の紀彗は、史実にはなくオリジナルの人物であると思われます。
紀彗軍の馬呈や劉冬も架空の人物ですが、こんな乱世では、本当にこんな辛い思いをした人物がいたのではないかと感じますよね(T_T)
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【キングダム5期】黒羊丘の戦いが描かれた理由は?
“黒羊丘の戦い”が描かれているのは、41巻からですが、やっとここから中華統一の始まり!
史実に書かれた事実のみで構成したならば、あっと言う間に秦は中華を統一してしまいます。
原先生は、少ない情報からいろいろなことを膨らませて『キングダム』を作り上げたのですが、なぜここで“黒羊丘の戦い”を描いたのかを考察します(^-^)
あくまでも、私の予想ですので、ご了承下さい!
桓騎のモデルとなる人物は、中国に存在していました。
刈谷提督のモチーフはフォロワーさんとお話ししていましたが「キングダム」の桓騎をモチーフにしています。
年齢は30代後半 pic.twitter.com/IAL6cT6EzT— ゆずれもん (@Yuzuremon_eg6) November 13, 2021
ただし、史実に残っているのは、紀元前237年に将軍に任命され、翌236年に鄴攻めに参戦。
そのまま、趙の武遂で扈輒を討って、10万もの趙兵の首を切ったことと、紀元前233年に李牧に大敗したことで、その期間はたった4年間(>_<)
『キングダム』では、主人公の信や飛信隊のメンバー、贏政と共に、戦い毎に登場する武将にスポットが当てられます。
それぞれが抱える背景やエピソードが語られ、胸が熱くなると共に、その人物について深く知ることが出来ます(^^)
まだ描かれていない桓騎の最後が史実通りだとすれば、李牧に大敗した後、桓騎は登場しないのです。
そこへ向けて、
桓騎がいかなる人物で、どうゆう戦い方をして、その根っこにはどんなものがあって、信が何を桓騎から得るのかを描くには、この黒羊丘の戦いが必要な場面になったのではないか
と考えます(^.^)
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まとめ
『キングダム』の中でも、強烈な印象が残る“黒羊丘の戦い”は、史実にはない、オリジナルのストーリーでした!
総大将・桓騎の人物像も原先生によって作られたものですが、趙兵の10万もの首を斬ったのは実話なので、亡骸のアーチもあり得ない話ではないかもしれませんね(>_<)
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